ダムを見て災害を想う

まち

JR 東日本コンサルタンツ株式会社 顧問

未来構想 PF 理事

溝畑 靖雄

黒四ダムが完成した昭和38 年に工事が始まった、信州伊那の小渋ダムを、昨年 6 月高校時代の仲間と初めて訪れた。大学 3 年の夏休みの研修を建設省のダム現場で受けたので、そこから起算すると 56 年を数え、昭和 44 年 5 月竣工なので誕生後も既に 50 年経過している。

伊那谷へ着くなり、仲間に「このあたりに小渋ダムがあるでしょう?」「行ったことはないけど」と言いつつ調べてくれ、そう遠くでもないようなので、「行って見よう!」と衆議一決。結果は、小生が感動を覚えたのは当然として、同伴の技術系でない 3 人の友人もいたく喜ん で くれた視察であった。

仲間の一人がリタイアした後、伊那に民家を求めてそこへ招待を受けたので、研修時代には影も形もなかった小渋ダムに対面する事が出来るのでは、と今にして思えばダムに惹かれて行ったように感じる。

諏訪湖に端を発する天竜川水系の小渋川にある、中部地 方初のアーチ式コンクリートダム で、洪水調節・不特定利水・かんがい・発電を目的に造られた多目的ダムである。黒四ダムあるいは天竜川下流の佐久間ダムに比べれば小ぶりであるが 、 日本では比較的大きなダムであろう。

堤高105.0m 、堤頂長 293.3m であり、流域面積 288 平方キロメートル、湛水面積 167.0ha で諏訪湖の面積に相当する程度であるが、現地で目を見張ったのは堤体アーチの曲線美であり、それが醸し出す周囲の緑、地形との調和である。

ダム湖周辺は、天竜小渋水系県立自然公園に指定されており、紅葉期は、モミジやミズナラなどが森と湖面を彩る。

アフリカのザイール共和国(現コンゴ)でつり橋建設に従事した際,つり橋を日本のみならず欧米で見る機会に恵まれ、曲線の持つ美に心を奪われてきただけに、黒四の景観とは異なる瀟洒なアーチダムの美しさに誇らしいものを感じた。施工の当事者であったマタデイ橋とは異なり、小渋ダムの関係者とも言えないが親近感すら覚えた。

翌朝の朝食時にかなり強い揺れを感じ、まもなく後に「大阪府北部地震」と名付けられる震度6 弱の地震速報が TV 画面に出る。阪神淡路を髣髴とさせるものがあり、直下型地震に対する警戒感を抱 かせるものがあった。

7月になると平成最後の豪雨被害となった 200 人を超す死者を出した河川の氾濫を主とする水害、 9 月の台風 21 ・ 24 号による関空の機能停止に陥る大規模浸水 、 さらにブラックアウトを引き起こした 震度 7 の北海道地震と続くが、この時代にどうして?と感じさせられたのは西日本の河川災害である。

平野部と山岳部の災害のありよう対策などは大きく異なるが、「伊那谷の歴史は災害との戦いの歴史」と語りつがれる地域で、昭和 36 年の豪雨災害を経験して当初計画を大幅に変更し、完成以後 47 回の洪水調節を行い下流域の洪水被害を低減した実績を誇る小渋ダムは多目的ダムと分類されているが、最大の使命は洪水調節であることをあらためて感じさせられる。

鉄道が安全を最大の使命とするのと似ているところに共感を覚えるとともに、災害が無くならないところも事故と共通しており、この地域に特有の土砂災害対応に、既に建設されている「土砂バイパス」などを駆使して長く活躍するインフラとしての役割を果たしてもらえることを期待する次第である。