東日本大震災復興に思う~技術の融合と多様性~

まち

早稲田大学研究院教授、都市・地域研究所上級研究員

佐藤滋

東日本大震災は、未曾有とも想像を絶するとも形容されていますが、土木や建築の世界に今世紀最大の衝撃と、そして新たな展開の機会をもたらしたとも言えます。

3月11日大震災が起きた時、私は日本建築学会の理事会で定款の改正に関して議論をしている時でした。説明役の副会長が日本建築学会の定款に、建築学会は社会に貢献する、という文言を入れることの説明をしていた時に、この地震が起きました。当日理事会メンバーは帰宅する事が出来ず、刻々と明らかになる被害の大きさに、その日の深夜に震災復興本部を立ち上げ、活動を開始しました。

土木学会、都市計画学会と連携して、この震災を乗り切るために我々学会のメンバーは、一致団結して貢献したいと表明し、また多くの組織が連携出来る様な広域連携組織を立ち上げて、そこに政府セクターはもとより、学会研究機関や職業団体、さらにはNPO などの組織が糾合して、国を、地域を挙げてこの復興に取り組む事などを提案しました。

さらに当時このような震災には国家機関が画一的な国家事業として復興事業を推進するという意見もあり、学会はそうではなくて、地域の多様性を尊重して、これにそして地域がもっている潜在力を最大限に活かして、その様な多様な復興とそれを実現する為の技術と手法を開発し、それを適用するべきだという考えでした。

この年の5月で学会長の任期を終えて、これを体現する具体的な研究に取り組みましたが、その一つのテーマがそれぞれの地域特性に応じた「建築まちづくりと土木インフラの融合」でした。課題であった防潮堤など巨大なインフラの整備が先行し、まちづくりは、その後に分離されて進む、という方向ではなく、インフラとまちが一体となって新たな価値を生み出すことができるのではないか、ということです。幸い石巻の旧北上川の河川沿い地区と気仙沼の内湾とご縁ができて、私たちは、研究員、学生と一緒に様々なイメージを検討し、これを半年かけて動画に制作をし、そして地域の皆様方に見ていただきました。こんなことを通して、石巻でも気仙沼でも少しずつ、この技術の融合という事が前に進んだかと思いますが、我々が描いたものとは大きな差があると思います。

今考えなくてはならないのは、次にくる大震災に前もって準備をしておかないと、せっかく開いた窓はすぐに閉じられてしまう、ということなのです。被災直後に様々な提案もし、動きもしましたが、これらが解けないうちに、事業は進めなければならないのです。東日本大震災での様々な復興まちづくりを、今後きちっとした検証をし、次の窓が開かれるときに備えることがこの被災に報いる道と考えます。