東日本旅客鉄道(株)建設工事部長
淺見 郁樹
日本国有鉄道に入社し鉄道に関わることが生業となったのは昭和57 年4 月のことでした。昭和57 年は東北・上越新幹線の大宮以北区間が開業するなど華々しい年でしたが、翌年度から新規採用が停止され、国鉄改革への動きが具体化を始めるなど物々しい年でもありました。以来35 年、先々を悲観する声もあった民営会社での鉄道の建設改良工事を曲がりなりにも続け、新幹線が八戸、青森そして函館へ、長野そして金沢へと延伸開業する姿を目にすることができたのは本当に幸いなことだと思っています。
しかし、気がかりなこともあります。仕事量が減少するという危惧を抱きながら、「効率」を求めて仕事を変化させてきましたが、果たしてこのままで良いのか。決定した計画を管理、遂行するのは勿論のこととして、未来を想像し、至極困難にも果敢に向き合い、理想の姿を創造することを喜びとするイズムは繋がっているだろうか。
心配すればきりがない、未来は若者が担うと言えばそれまでですが、……。
「昔の侍は十五歳で元服し、二十歳で結婚して家督を引き継ぎ、おおむね二十年働いたのち四十歳で隠居するのを理想のライフ・サイクルと考えていたらしい。……こうしたライフ・サイクルは人間が短命であったからというより、むしろ社会の要請もしくは道徳だったのであろう。……家督を譲れば倅の仕事にも家政にも口出しをせぬのが彼らの美徳であり、そのかわり孫を教育し若者を啓蒙し、あるいはみずから学問を積み趣味道楽を究めた。つまり舞台を務める役者は若いほうがいいに決まっているから、彼らは芝居を陰で支える黒衣に転じたのである。こうしたスタッフの層が厚い分だけ、舞台は絢爛さを増し、役者は好演し、観客は堪能して喝采を惜しまなかった。世界史上に類を見ない二百七十年の平和、またその間に形成された偉大な文化は、このライフ・サイクルの上に維持され開花したのである。」これは「隠居の思想と現実」という浅田次郎氏の小文です。(平成19 年1 月1 日付読売新聞)
また、日本鉄道の設立に深く関わった高崎正風は、その開業20 周年に際して「さきたちて国のあゆみを進めてし この真金路(まかなち)のいろをわするな」と詠んでいます。高崎正風は元薩摩藩士であり、このライフ・サイクルの純度高い結晶のひとつと言えるのかもしれません。
意外にも、気がかりを払しょくし、未来を創り出す手がかりは、鉄道開闢前後の我が国の姿にあるのではないでしょうか。そうしてみると、本会の皆さまのご活躍が一筋の渋い輝きを放って見えるように思います。