風の電話

ひと

未来構想PF 事務局長

土井 博己

津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町、海を見下ろす高台に、線がつながっていないダイヤル式の黒電話が置かれた白い電話ボックスがある。それが風の電話である。「風に乗せて、会えなくなった人に想いを伝えて下さい」自宅の庭に風の電話ボックスを置いた庭師の佐々木さんの言葉である。実はこの電話ボックス、息子さんと話すため震災前から置いてあったものだ。

震災の日、佐々木さんは津波が海岸を襲う一部始終を高台の自宅から見ていた。「あまりにも突然、多くの命が奪われた。せめて一言、最後に話がしたかった人が沢山いたはずだ」。そんな想いからメモリアルガーデンを造り、誰でも利用できる「風の電話」を実現させようと思ったそうである。

3月11日前後に多くの震災関連番組がテレビで放映された。その中に、3月10日にNHKで放映された「風の電話」がある。もう会えない誰かと会話するため多くの人が訪れており、青森八戸の高校生も紹介された。長距離トラックの運転手だった45才の父親が、たまたま大船渡で被災 し行方不明である。残された母と弟と妹の4人で元気に暮らしているが、風の電話のことを聞いて一人でやってきた。その後家族4人で再来、 父について語ることが出来なかった家族が交代で電話ボックスに入る。一切父親の話しをしなかった妹が堰を切ったように学生生活など話しかけ、弟はこらえていた涙が溢れ出す。そんな弟に母は、泣いていいんだよ、言わないでいると心が折れるからと優しくさとす。母は、帰ってきて待ってるよと話しかける。その他、自分の家の電話番号をダイヤルし黙って泣いている夫と家を失った女性、妊娠中の次女を亡くした男性、全てを失い花巻の県営住宅で一人暮らししている主婦は死んだ方が楽と語りかける。切実な心の叫び声、線ではつながらないが風が運んでいく、つらいドキュメンタリーだった。

東日本大震災の発生から5年を迎えた。死者・行方不明者は2万人を超え、今も約17 万人が全国で避難生活を続けている。 国の東日本大震災復興基本法では「単なる災害復旧にとどまらない」「21 世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指す」と記載されている。復興とは何か。直後の避難者は47 万人と言われており、47万通りの復興の姿があるはずだ。

巨大な防潮堤、高台の住宅地造成、新しい都市計画とインフラ整備、土木技術者達が取り組み努力している分野は幅広い。しかし、風の電話のように、一人一人の心に寄り添う復興支援も欠かせない。もう5年と言われるが、被災者の多くは「たった5年」との想いが強い。震災直後の方針で復興が進んでいるが、見直しや、47万通りの復興に目を向けることを忘れてはならない。 また、コンクリートから人へ、一時期、世論に支持されたが今はほとんど聞くことがない言葉だ。5年間の復興の歩みを見ていると「コンクリートも人も」が正しい考えと思えてくる。
今は穏やかな海が見える大槌町で、震災直後から、自ら取材し編集し週1回発行している「大槌新聞」を、全戸に無料配布している菊池由貴子さんは“大槌町は絶対いい町になります” と書き続けている。