国際競争力からみえるもの

みんなの未来構想

(株)都市デザイン代表

未来構想PF 理事

田中 滋夫

現場から考えるをモットーに都市空間を形づくる仕事を続けてきた。国内が中心だったが、声がかかれば海外にも行った。両方を手がけることで見えてきたこともある。今回は、その中で気がかりとなっていたこと・建設業界での国際競争力について考えてみたい。

建設業界といっても、私が知っているのはコンサルタント業界であるが、そこについて言えば、全くといって良いほど国際競争力に欠けている。海外での実績があがっている様に見えるが、その殆どがODAがらみである。自らの企画力、構想力で大きな仕事につなげた例はあまり聞かない。あるいは、ある国や地域について持続的に成果をあげている例も知らない。コンサルの世界だけなら大した話ではないが、プランニングでの企画構想力は建設業では最上流に位置する。ここを押さえるのとそうでないのとでは、先の展開、特に質の良い仕事-割りの良い大きな仕事-を獲得するうえで大きな違いが生まれてくる。先進工業国のコンサルタント業界の海外受注比率は概ね50%を上回っていると聞く。ここの所の差が建設業界全体における競争力に大きな違いを生んでいるように思えてならない。

原因を英語等の語学力に求める人も多いが、より大きなものがそこにあると思われる。

いわゆる「ガラケー」がここで想い起こされる。私もまだ使用しているが、そろそろスマホに切り替えようかと考えている。日本のガラケーは、高い技術力を背景に厳しく欲張りなユーザーの声に応えて、通話とデータ通信の一体化をいち早く実現したものである。 i モードという独自のソフトと極小機械に多機能をつぎ込むハードを組み合わせた独自の開発であり、現在の携帯端末のベースを創り上げたといっても過言ではない。しかし国内での充分な需要量という内向きのマーケットに特化し、かつ元国営企業NTT に支えられた発注者依存のシステム開発であったが故に、その役割を終えようとしている。ガラケー=ガラパゴス化した携帯電話システムといみじくも呼び名がつけられたのは真をついている。

日本の建設技術について言えば、厳しい地形条件と多様で高い水準を求める地域ニーズに対応して、高い技術力でこれに応えうる体制を作り上げてきた。またその性能を保つ品質の維持についても高い水準を保っている。海外においても、地形と現地技術を読み取り適確な設計と施工を進め、造られたものの品質を維持する力について、疑問を抱く者は少ない。

しかし他方で、それは国内での縦割りに分化した事業システムで鍛えられている技術である。ODA にみられるように個別化された事業をこなす力は問題ないが、地域を統合するような提案力=地域ニーズを創造的に組み立てる企画・構想力となると途端に弱くなる。その原因は、高い技術力を横につなぐ力=連携・コラボレート能力の欠如であり、さらには魅力的で迫力ある地域空間像に高めて提案する力=空間形成能力の不足である。

国内での建設業界はまず建築と土木に分かれている。これは日本独自に発達したシステムである。このため土木では空間像にまとめ上げるプレゼンテーション能力を求められることは少なく、それが仕事を創るうえでの競争条件となることはまずない。大きく地域像にまとめ上げ、そこの関係から仕事を創り出していく訓練が日常的になされていないため、スケール感のある空間提案力がコンサルタント内部に欠如していることが多い。

次いで、鉄道、河川、道路、上下水道、緑地、そしてランドスケープと分野が細かく分かれ、受発注も細かく分野ごとになされる。その結果、分野をまたぐコラボレート、連携する力が著しく乏しいことになる。これには、受注者と発注者、元請けと下請けが言葉遣いの関係もあって上下関係となりやすいことも手伝っている。高い技術を統合して地域経済へのアクセスあるいは外交を含む政治交渉へとつなげていくソフト形成力が育ちにくくなっていると言わざるをえない。

国際競争力が育ちにくい事情を見ていくと、国内での課題が良く見えてくる。大きなマーケットにおいては、閉ざされたマーケットでの弱みがそのまま裏返しにさらけ出されるのである。国内という狭いマーケットへの適応が過度に進むと、より大きな競争に負けてしまう。それが結局は、閉ざされたマーケットでも真のニーズに応えきれない結果を生み出してしまう。ガラパゴス化とはこの様なことを言うのであろう。土木を中心とする建設業界が抱えているひとつの課題ではないか。