令和時代 最近の災害から思うこと

まち

杉山友康
京都大学大学院 教授

 長いこと東京で暮らし、鉄道の防災に関わる研究に携わってきたが、縁あって京都に住まいを移して 7 年が経ようとしている。ここ数年の京都市内は、海外からの観光客が随分増え、どこに行ってもまるで外国に来ているかのような錯覚を覚える。そのような京都市内でもまだまだ落ち着いて参拝できる寺社もたくさんある。紅葉シーズンを終えた市内中心部から北西の方にある小さなお寺を訪ねたある日のことである。そこは、比叡山を借景とした庭で少しだけ知られた寺である。山腹の緩やかな傾斜地に位置する寺は、住宅街を抜け寺の山門から緩やかな参道を百メートルほど登ると本堂があらわれる。朝早く出掛けたため、ちょうどその参道を住職とその奥様が竹帚で落葉を掃き清めているところに出くわした。「おはようございます」と声をかけると住職の奥様が「おはようさんどす。きょうはおおきに。ゆっくり参拝しておくれやす」としなやかな京ことばで迎えてくれた。開門時刻少し前であったため、「朝から掃除ご苦労様です」と声掛けすると、「来ていただいた方に気持ちよう参拝していただけるように毎朝のことなんどすよ」「ここ数年は雨の降り方がひどうなって、落ち葉だけでなく、脇を流れる小沢から小石が ぎょうさん参道にあふれてくる始末なんどす」「雨の後は集めたごみが重とうなって大変どす」と愚痴とも言えない言葉が返ってきた。 750 年の歴史を持つこの寺の参道は創建された当時のままという。地球レベルの気候変動が一つの原因とされる近年の豪雨の影響がこのような小さなお寺にも影響してきているのかと改めて思いを馳せた一時であった。

自然災害は、激甚化、広域化して、ここ数年毎年のように全国各地で大きな被害をみている。平成 30 年 7 月豪雨、令和に入って台風 15 号、 19 号による広域な強風・豪雨災害など。気象災害だけではない。地 震による被害も東日本の震災以降、熊本、大阪北部、北海道胆振東部地震と続き、今後、首都圏直下、南海トラフの地震による大きな被害も懸念されている。

自然災害の防災対策は行政、民間問わず各機関で精力的に進められ、インフラそのものの耐災性は以前と比較しても格段に向上してきたと言える。しかし、災害に強い社会となったのか?と言われると、近年の被害を見れば、まだまだそのような状況とはなってはいない。最近では社会基盤施設の強化だけでは、災害防止にはならないことを知らされたことも多い。ここ数年来防災対策から減災対策へという考 え方にシフトし、いざという時の避難の大切さが各方面でPRされ、少しずつ理解されつつあるようであるが、まだまだ浸透しきれていないのが現実である。「自分は大丈夫」「ここは大丈夫」「まだ大丈夫」という意識を捨てること、すなわち、災害を他人事とせず自分事として考える、一人ひとりの意識改革が大切なのである。

一方、災害時に優しい(少し変な表現だが・・・)街づくりも必要である。避難し易い道路、一時避難に利用可能な公園整備など、一部では計画的な街づくりが進められるようになった。こうした街づくりと一緒に、人が多く集まるところではイザという時の行動を考慮した場所づくりも進めてはどうか。例えば駅周辺は、少し大きなターミナルとなれば、商業施設や宿泊施設、さらにオフィスも併設され、鉄道利用者だけでなく、バスや自家用車などでの利用者、買い物、娯楽、観光などそれぞれ異なる行動をする人たちが集まる場所となる。普段の行動に機能的なターミナルはこれまでも多く整備されてきたが、大雨や地震などの異常時でも最小限の被害で済み、その地域の防災・減災に貢献できるような各施設が一体となった「行動し易いターミナルづくり」は進められてきたであろうか。各地で災 害が多く発生し、防災、減災対策を官民一体となって進めることが必要となった今、ターミナル施設ごとに進めたられた防災対策に加え、緊急時でも多くの施設が一体となったターミナルとなるように、ハードの耐災性向上対策だけでなく、避難や帰宅困難者への対応などソフト的にも機能的な施設として整備を進めてほしいと思う。もちろん、地震時と豪雨時ではその対応も異なるため、各種の異常時毎に対応を考慮しておくことも必要となる。さらに、ターミナルづくりやこれらを運営する事業者だけでなく、地域行政をはじめ自治会、学校、周辺企業、各種団体が 連携した「イザという時の行動マニュアル」を整備することに加え、これを利用者が理解することが大切であり、双方のコミュニケーションも必要となる。

四季があり、水も豊富で暮らしやすい国と言われる我が国は、一方で世界的に見ても各種の自然災害に多く見舞われる数少ない国の一つである。ここで暮らす私たちはこれを宿命として、災害を「正しく理解し」、「正しく恐れ」、少しでも被害を小さくする努力をこれからも続けていかなければいけない。