吊り橋の保守と日・ザのきずな

みんなの未来構想

ジェイアール東日本コンサルタンツ(株)顧問

溝畑 靖雄

アフリカの大河コンゴ川を水面上60mほどの高さから見守り続けているマタディ橋はすでに完成以来34 年を経過している。アフリカにおける初めての本格的な吊り橋として国鉄時代、海外技術協力の一環として日本人の手で建設された大規模プロジェクトである。現在、日本の開発援助の代表例として高く評価されており、34 年間の保守管理についても「メタル構造物が殆どない国で、日本大使館まで引きあげる治安の悪化にも耐えてコンゴ人だけでなぜ橋を健全に維持できたのか?」と驚きの目でみられ、現にJICA から調査団も数次にわたって派遣された。

コンゴ川はアフリカ中央部に端を発するが、およそ4700 ㎞に及ぶ長い旅を終えて大西洋にそそぐ河口からほぼ100 ㎞上流の川幅の狭くなっている地点(マタディ)にそびえたっている吊り橋がマタディ橋である。日本ではマタディ橋と呼んでいるが、現地では建設当時大統領であったモブツ元帥に敬意を表し、現在でも元帥橋(Pont Maréchal)という通称で親しまれている。

海外におけるインフラ事業では建設時の技術力は当然として使用開始後の保守管理に当たっても日本の技術が必要とされることが多いが、このため維持管理に必要な資機材等を提供すると同時にその取扱いを日本人が指導するのが通例であり、マタディ橋の場合もこの体制で完成後の1983 年からメンテナンスを始めた。

1991 年、キンシャサで暴動発生のため日本人専門家が命からがら撤退したため、建設工事に従事したザイール人技術者が建設当時の日本人を頼って相談する必要に迫られ、正にザイール人と日本人のきずなが効力を発揮するキッカケとなったと言える。

最初の大きなヤマは保守面で重要かつ大規模な橋梁再塗装であったが、この事業をコンゴ人だけで南アフリカの会社と提携して塗料の手配からノウハウまで研修を受けて習得し、見事に完成させたことが外務省、JICA をはじめとする日本側の次のステップにつながる原動力となったのである。

塗装で対応できる錆防止は日本人のアドバイスのもとコンゴ人だけでやり遂げたが、将来にわたって健全な状態を維持するための次のステップ—ケーブル錆防止システム設置—は日本企業(IHI)の施工で行われた。これが二番目のヤマで今年3 月に無事完成して機能を確かめつつある。

これで、いわば水分との接触を防いで建造物を健全に維持する保守工事は完成したが、残されたのはコンゴ人では施工できない橋面の舗装を取り換える工事である。34 年間使用している間、取り付け道路のアスファルト舗装は部分的に修復されてきたが、橋桁の上で特殊技術を要する橋面舗装の取り換え工事は手がけておらず、30 周年記念行事の際、橋梁を徒歩で渡ったが、現場を見て早い時期に取り換えが必要と痛感した。

この課題が三番目のヤマと言えるが、驚くのはケーブルの防錆システムの完成後まもなく橋面舗装の調査に入るスピード感である。調査団が派遣されたのがこの11 月で我々の予想以上のスピードで準備が進んでいる。

マタディ橋の誕生から現在に至るまでの40 年余継続して現場で見守ってきたのは、両国を通じてマディアッタ・カロンボの両氏のみである。とりわけ元総裁まで上り詰めたマディアッタ氏は数々の苦難を乗り越え一筋にマタディ橋を愛し人生を捧げてきた。彼こそマタディ橋の育ての親と言っても過言ではない。

彼らの後継者は現在育成中であるが、橋梁塗装ならびにケーブル錆防止システムの工事を経験した両氏の力を生かしながら橋面舗装取り替えをやろうとすると事は急いだ方が良いのである。

マタデイ橋全景

ケーブル錆防止システム設置工事
(IHI インフラストラクチャーシステム)