尼崎築港㈱ 代表取締役社長
岡部 安治
20 年間勤めた国鉄・清算事業団を42 歳で退職し、中小同族会社の経営に携わり19 年がたった。まもなく創立90 年になろうとしている。
この間、経営者として成長できたのか61 歳の今も未だに疑問の人生を送っている。でも、その間応援してくれた家族、友人、同僚に感謝の気持ちは忘れないつもりでいる。
ただ上場企業を始めとした企業経営論ならいざ知らず、ストックホルダー全部に満遍なく気配りをし、優柔不断になってしまっては、真に感謝しているとは言えないのでは、そういうことに気づいたとき既に58 歳。
ここで思い切って、分散した自社株の過半数を買い取り、中核となる事業以外は譲渡、廃止して、不動産賃貸業に特化し、所有資産のスクラップ&ビルドや、小規模なM&A を目標に取り組むことにした。ただし、この会社が今後も存続しうるような状態とし、私の代で100 周年を迎えること、つまり継続そのものを目的とした。
昭和初期に自社が埋立造成した兵庫県尼崎臨海部の所有地を核に東京都心部へのシフトも考えながら、中長期に不動産賃貸事業を持続させるには、今後30 年から40 年にわたる家賃収入の適切な見通しに対し、修繕費用、販管費(PM・BM 委託費用、税金等)をしっかり見込み、純利と減価償却が生み出すキャッシュの見通しから借入返済、税金等を差し引いた正味の利益を確保することを、如何に日常業務の中に定着させ、突発的な事象を含めリスクの管理と制御(弁護士・不動産専門家・税理士等との連携)を効率的にやっていくかの仕組みづくりとその改善に汗することに尽きることが遅ればせながらわかってきた。そうこうしているうちに建物も自分も老朽化してきたことに気付き、これもまた遅ればせながら低効率のものは売却し、効率的なものに買い替え、再び新たなリスクの管理と制御の仕組みを築いていく。まさに事業の入り口論である。
この誌面の読者の皆さんなら、当たり前のことと受けとめていただけると思いますが、こうした極めて地味だが、焦らずに物件ごとに一つの物差しをもって臨めば、契約行為そのものが担保され安定的経営につながってくる。
これを手を拡げすぎず、消極的すぎず、大きな赤字を出すことなく中長期に繰り返して、事業承継が叶えば、会社は継続し自分の代での責任は果たせるであろう。
また、黒字継続性を逆手にとって、売却による清算やM&A という手もある。これは事業の出口論である。
事業の継続性を支える要素は、この仕組みだけではなく、もう一つ重要な仕事がある。人の移り変わりへの対応である。これは年齢とともに自動的に変わっていくものではないので、事業がうまくいっている時こそ、経営者自らが退く時期の目標をもって準備を始めなければ、会社の継続性は確保できない。いずれにしても、これまでの自分との断捨離を進めながら、自分で決断し、実行することが継続力となる。
そこで、やっと本論に入るが、20 年間私を育ててくれた鉄道に感謝しつつ、新たな不動産は駅近5分以内に狙いを定めることにした。今更ながら駅は偉大なりである。
昨今のように借入金利子が低い時期に、属性(会社の体力)の許す範囲で最大限の投資やM&A を、メリハリと柔軟性のあるシナリオと時間差をもって、リスク管理能力が衰え始めるまで続けていきたい。
唐突だが、夢というか生きている間には無理かもしれないが、IoT(Internet of Things)、と5G(第五世代移動通信システム)によって得られる超高速大容量のビッグデータを AI(Artificial Intelligence)に投入分析して、人の考えだした幸せ、そして悔いのない生き方につながる何か成果目標(Outcome)を与え、学習させて構築された安全快適な次世代空間に適応できる駅、そんな駅は未だ想像しにくいが、既に見えないところから始まっているのかもしれない。そんな駅の近傍にそんな不動産ができてくるのだろうか。
もう一つの夢はリニア中央新幹線の営業線に孫あるいはひ孫を連れて大阪まで乗ってみたいと思う。これはかなり無理なことだろうか。
また、これから新鮮で幅広い概念と見識をもった後輩の人たちが新しい街づくりの中で、地上(道)・車両の両面から自動運転車なるものを開発していくことになると思うが、リニアの最寄り駅まではこの自動運転車でホーム階乗車口あるいは車内まででもいいかもしれない、ドアツードアでリニアカーに乗り込めたら重い荷物からも解放され、空いた時間をどう使うか考えられて、なお幸せだと。こうなると、目的地に行くというよりは、向こうから目的地がやってくる感じをイメージしたい。自動車と自動者という話がこの誌面であったが、自道者、自道車、も仲間に加えてもらえればと思う。
かなり無理があるというより、訳が分からないといったほうが正確かもしれない。やはり創造力も想像力も着いていけない、独りよがりの稚拙な話題で失礼する。