地方都市中心商店街の終焉!?

まち

東日本旅客鉄道株式会社 技術顧問

斉藤 親

かつて地方都市の中心商店街は、主要駅の『プラットフォーム』の如く、人々の行き交う賑わいの場として栄えた。本格的な人口減少時代を迎えた今日、地方都市再生が国家的課題となっているが、これに取り組む多くの地方都市が、驚くことに『脱中心商店街(と言える)』を検討していると聞く。
一体どういうことなのか?考えてみた。

(交通・流通革命に曝された中心商店街)

中心商店街の多くは、それぞれ歴史的な生成過程を辿りつつ、都市の中心として行政上常に重視され、商業振興・支援策は基より、防災街区化やアーケード・歩行者モールなどインフラ整備の恩恵を受けてきた。それにも拘わらず、今日その多くが低迷・衰退に至った理由は、「交通」と「流通」の大きな変化(=革命)にあると言われている。前者は、よく指摘される通り、特に戦後我が国の急激なモータリゼーションの進展と、それによる消費者行動の変化に対応出来なかったもの―多くのクルマが、バイパス道路と広い駐車場を使い、多種多様な商品の陳列と飲食娯楽など付加的サービスを求め、中心商店街を離れていくこととなったのである。本稿では、交通に造詣の深い読者も多いことから、前者の「交通」はこの程度にし、後者の「流通」について、概略の歴史を遡り考察してみたいと思う。

(流通の概略史を辿る)

―百貨店の誕生と百貨店法―

流通革命は、1904(M37)年の百貨店三越の誕生から始まった。すぐに百貨店は、買物のみならず都市住民の新しいライフスタイルを生み出し、中小小売業に大きな影響を与えた。各地に百貨店が開店していく中、1937(S12)年に、初めて大規模小売店舗の規制を目的とした「百貨店法」が制定された。(百貨店発祥のパリでは、エミール・ゾラが著書「ボヌール・デ・ダム百貨店」で押しつぶされる中小業者の悲劇を描写した)なお、所によっては、その後、両者の共存関係も見られるようになった。

―スーパーの出現と大店法規制―

更に、戦後の1953(S28)年にはスーパー紀伊国屋が出現し、客と店員の対面のない手軽さも評価され、20 年間ほどで百貨店を越える売上を遂げた。中小小売業に更なる打撃を与えたことから、1973(S48)年、「大規模小売店舗における事業活動の調整に関する法律」が制定され、いわゆる「商調協(商業調整協議会)」での地元調整と中小小売業の保護が図られた。因みに、これは海外から日本的悪規制の代表格と非難された。

―郊外SC の登場と街づくり3 法―

次に登場したのが、特に地方都市で影響の大きかった郊外SC(ショッピングセンター)で、中小小売業だけでなく共存していた百貨店をも凌駕し、シャッター街と幽霊ビルが地方都市各所に出現し暗い影を落とした。ここに至り、商業問題から中心市街地の存亡という都市問題に発展し、総合的な取り組みとして、1999(H11)年所謂「まちづくり3 法」(中心市街地活性化法・大規模小売店舗法・改正都市計画法)が制定されることとなった。7 年後の006(H18)年には、内閣総理大臣を長とする中心市街地活性化本部も設置され、国家的取り組みの中で現在に至っている訳である。

―ごく最近の流通動向(付記)―

今日、大都市、地方を問わず、コンビニの普及は止どまることを知らず、またIT 時代ならではの新たなネット販売+宅配が急進している。最早、従来の小売商業形態は、街中から急速に後退しつつあり、百貨店すらその将来の存続が危惧される時代となっているのである。(ただし、東京の戸越や大阪の黒門など大都市の一部に、観光的側面を持ちつつ、例外的に賑わいを存続している商店街が見られる)

(歴史の総括と将来への課題・展望)

上述した通り、「在来の中小小売業」と「時代とともに進化する大規模小売り店舗」は、一貫して利害対立関係を続け、前者を保護する何度かの法的規制にも拘わらず、結局、消費者の選択の帰結として後者が勝利してきた。これを地元地域経済から冷静に解釈すれば、「在来中小小売業への打撃」と「消費行動の活況+地元雇用の創出」の両面から受け止める必要がある。加えて、本格的なコンビニ・ネット通販時代の到来を考えると、(記憶に残る、約40 年前のある街づくり委員会での通産省小売商業課長さんの発言)「中心商店街―正確には路線型小売商業は、早晩、限界を迎える」その時が、今到来しようとしていると感じるものである。

一方、地方都市の中心市街地活性化施策について政府は、中心商店街の衰退問題を克服し、都市全体のコンパクトシティ化を提唱している。詳細は省略するが、市街地をコンパクト化する「引力」の重心としては、その位置やインフラ整備状況から、中心駅や中心商店街が有力視されている。その意味では、中心商店街がどのように変貌(脱中心商店街化)するかが極めて重要となり、抽象的だが「新たに適切な複合市街地」を形成することが求められている。具体的な複合的土地利用(ミックスユース)については、各々の都市の独自性に委ねられるが、幾つかの成功事例からは、少なくとも、これまで郊外志向で商業地に緑の薄かった住宅(中高層)や医療・福祉施設は必須のようである。その際、新たな土地利用の計画・事業・管理等については、官民連携のもとでの民間活力の思い切った活用、公共遊休地や大規模空き家などの利用などが成功の鍵となっているようである。

なお、政府は、コンパクトシティに併せたネットワークの強化を提唱しているが、私は、特に中心駅(広場)と新複合市街地(センター)を太い公共交通で結ぶことにより都市軸を創出し、これがコンパクトシティの要として、老若男女のモビリティの拠り所となることを期待したい。この都市軸では、多様な沿線機能に包まれた豊かな歩行・広場空間とバスやBRT・LRT の快適な走行が見られるというものだ。

いずれにしても、今後最低でも数十年は続くこの人口減少時代、地方都市は今、その存続と飛躍を目指して、コンパクトシティ化と脱中心商店街=新複合市街地形成というチャレンジングな都市計画の戦いに臨んでいるのである。