街づくり事業について感ずること

まち

(株)都市デザイン 代表

(社)未来構想PF 理事

田中 滋夫

東日本大震災以来、手伝ってきた石巻の復興まちづくりでの一つの再開発事業が概ね完成しつつある。川湊石巻の発祥の地であった地区で、河川堤防の新設、旧北上川にかかる橋の架け替えなどとあわせての街の再生が進められた。商工会議所、まちづくり協議会など地元側にたって行政との調整を手伝い、その中から生まれた再開発事業を担当していたものである。

東日本大震災の復興事業は、資金的にはその殆どを国の復興交付金に頼っている。その資金システムは既往の個別事業制度(区画整理事業、市街地再開発事業など)をベースに組み立てられている。国庫補助事業の仕組みであり、個別事業ごとに永年かけて細かくマニュアル化された要綱等によって運用されているものである。平時でも事業毎の専門家でないと活用しにくい複雑な組み立てになっている。震災復興という緊急の事態に基本的に対応しにくい構造を有していた。
震災後、多くのところで、地元、行政、専門家が一体となって、復興に向けて真剣に討論を重ねたにもかかわらず、事態が進むにつれて、次に、その個別事業制度が持つ限界の中で復興のあり様を選択していかざるをえなくなった。

その様な中で、行政とはそういうものだと割り切って、粘り強くなんとか事業に取り組み、まちの復興を進めようとする地元有志の人たち、厳しい環境の中で現場を担当する行政職員の勤勉さにはいつも頭が下がる思いであった。この様な人たちの努力で粘り強く、何とか制度の制約をくぐり抜けて多くの復興事業は成果に結びつけられていったのである。

縦割り行政をベースとした細かく分かれた個別事業制度と、その表裏にある著しく進みつつあるマニュアル化行政の中で、かなり多くの時間と手間が無駄に費やされたことは否めない。又、事業間の相互調整の不足が集中的な工事発注を呼び、建設費の著しい高騰を招いたことも否めない。
民間の立場で都市計画をやろう。できれば計画だけでなく運営を見とどけるまで現場でやっていこうと事務所を開いたのが約45年前。その当初から、総合技術であるべき都市計画にあっても縦割りの強さに異和感を感じたのを覚えている。その後、高度成長、バブル崩壊を経ても、改善されるよりは一層硬直化が進んでいると強く感じている。今回の復興支援では、その弊害は只事ではないところまで来ているとも感じた。

粘り強く、きめ細かく熱心にまちの現場で取り組んでいく多くの人の存在は、日本のまちづくりでの大きなとりえであろう。他方、まちづくり事業における制度上の縦割り、マニュアル化行政については、相当思い切った打開が求められている所まで来ているのではあるまいか。