北海道に新幹線がやって来た

みんなの未来構想

(株)北海道ジェイアール・コンサルタンツ 社長

吉野 伸一

昭和45 年、全国新幹線鉄道整備法、新幹線が札幌まで整備される法律が成立した。新幹線は我が国経済発展の大きな原動力として山陽、東北、上越と延長され、昭和63 年には新幹線仕様で完成した青函トンネルがとりあえず在来線津軽海峡線として供用開始となり、本州と北海道が鉄路でつながった。

しかし、時代は平成に入り、バブルが崩壊すると北海道まで新幹線が来る事は新幹線建設期成会の関係者等を除いては現実味を得ていなかったと思われる。北海道新幹線建設に向けて情勢が動いたのは平成10 年2 月である。新青森・札幌間の新幹線ルート及び七つの駅が公表され、さらに、平成14 年1月には新青森・札幌間の工事実施計画が認可申請された。そして、平成17 年4 月に新青森・新函館(仮称)間工事実施計画が認可され、同年11 月には起工式が行われた。全国新幹線整備法成立後、35 年後のことである。新函館(仮称)・札幌間についても平成24 年6月に工事実施計画が認可されトンネル工事が始まっている。

私事ですが、新幹線は私の社会人としての業務経験の始まりであると共に、自分を育ててくれた職場でした。昭和46 年3月、国鉄中央鉄道学園を卒業後、道産子の私ですが、山陽新幹線岡山・博多間建設工事の最盛期である下関工事局への配属を希望し、赴任することが出来ました。担当は山口県下松市から徳山市に至る明かり区間、地元説明が難航し、昭和50 年3月の開業に間に合わないのではと心配される区間のうちの一つだった。工期短縮が課題となり、当時でも特に型枠工、鳶工が不足していた状況から、RCラーメン高架橋の上床スラブと高架橋間のRC調整桁にH型鋼埋め込みスラブ桁を採用し、支保工およびスラブ下型枠の省略化による工期短縮を図った。これまた、全くの私事ですが、九州出身の女性を北海道へ連れて帰ることになった。現在はすっかり道産子になっている。

昭和50 年3月、開業したばかりの山陽新幹線に乗り仙台へ赴任、仙台新幹線工事局勤務となった。当初は技術管理課勤務であり、ここで生涯の上司(自分で勝手に考えているだけですが)となる石橋補佐(後の構造物設計事務所コンクリート構造主任技師で現在はJR東日本コンサルタンツ会長)にご指導を頂く事になった。現場では国道4号線を跨ぐ3径間連続PC 桁の押し出し架設を担当、道路管理者と協議を重ね、道路交通を制限することなく日中にPC桁押し出し架設を行った。また、当時は連続桁の基礎にはオープンケーソンは採用しない暗黙のルールがあったが、なぜかオープンケーソンで設計されており、アースアンカーなどを利用して2800tの載荷試験により支持力確認も行った。昭和53 年には宮城県沖地震を経験し、コンクリート構造物の壊れ方、補強方法の勉強もさせて頂いた。東北新幹線業務の後は北海道へ帰る人生計画だったが、今は亡き先輩の薦めもあり新宿の構造物設計事務所でお世話になることになった。昭和55 年11 月から国鉄民営化直前の昭和62 年2月まで、再び石橋主任技師にご指導頂いた。構設では東北新幹線大宮以南高架橋の標準設計等も担当となり、コンクリート構造設計の勉強をさせて頂いた。国鉄民営化後は新制JR北海道に採用され、昭和43 年春の北海道旅立ちから19 年後、初めて北海道勤務となった。国鉄勤務時代は新幹線がおもな仕事場でした。

JR北海道では平成19 年までの20 年間、釧路沖、十勝沖地震を含めた各種災害対応、そして構造物のメンテナンス等の業務を担当し、鉄道の高架化や河川改修に伴う鉄道橋梁改築の際には上司から「道楽をしてる」、等といわれながらもPC斜張橋、エクストラドーズド橋(押し出し架設)、PCランガー橋などの計画、設計にも携わる事が出来た。平成17 年に北海道新幹線が着工され、現在所属している会社では、鉄道運輸機構からJR北海道が受託した新幹線土木工事の設計・施工管理、在来線近接施工時の在来線設備の観測業務、新幹線付帯構造物の設計、さらに平成25 年からは開業へ向けての各種検査のお手伝い等を担当してきた。ここ数年は新幹線関連業務が会社全受注額の3割を超え特需の状況となっている。開業後も新幹線土木及び停車場構造物検査のお手伝いをすべく要員を確保し、函館に拠点を構えた。

去る3月26 日に開業した北海道新幹線、新青森・新函館北斗間149kmは、青函トンネルを含む82km間が、在来線(貨物列車)との供用区間であることから3線軌道となっている。工事中も作業間合いが十分確保できず多くの苦労があったが、開業後にも多くの課題がある。新幹線と貨物列車のすれ違い時の安全性確保のため、上下線間には建築限界支障等の異常を検知する限界支障報知装置が設置され、さらに新幹線の速度を140km/hに制限する。地元からは高速運転による時短要望が大きく(東京から4時間以内となる)ダイヤの検討などが進められており、開業1年後には工夫され実施される計画となっている。また、積雪寒冷地の新幹線であることから、冬期の安全安定輸送確保のため3線分岐器部分にはシェルターを設置し、新幹線用の分岐器はピット式構造としたうえエアージェットによる不転換対策も取られている。また、他の新幹線は夜間に5から6時間の作業時間帯というメンテナンスの時間が確保されるが、在来線との供用区間を持つ北海道新幹線ではわずか2から3時間しか確保できず、作業時間帯ではなく作業間合いでの保守作業となる。

JR北海道による今回の北海道新幹線開業効果は、在来線特急に比べて座席数が大幅に増加する新幹線であり、輸送計画乗車率は25%程度と厳しい予測をたて、青函トンネルの維持費等経費も嵩み、新幹線施設使用料は1.14 億円/年と国の配慮も頂いているが、向こう3年間は48 億円の赤字が続くという計画である。

まだ北海道の入り口までの開業であり、札幌まで延伸されて新幹線の効果が発揮されることになる。だが、新幹線が北海道まで伸びたことで北海道を訪れる人が増えるであろうし、お客様には函館のみならず道内各地に足を伸ばして頂き北海道の活性化につながることを期待している。東京から新函館北斗まで最速4時間2分、仙台からは2時間30 分。新函館北斗から函館までの18kmは電化され函館ライナーというアクセス列車で連絡している。また、新函館北斗では札幌方面へ乗り継ぐ特急列車が用意されている。首都圏及び北関東からの利用を期待すると共に、東北と道南の経済、観光圏を充実させて、地方創成の起爆剤となることを期待している。また、函館など道南地区が賑わうことのみではなく、道内全体の活性化につながることも期待している。

開業日の乗車率は61%、2日目は37%との報道であった。1年前に開業した北陸新幹線金沢開業とは実数では比較にならないが、新青森・新函館北斗間の輸送人員は、開業初日が前年の3.3 倍、2日目も、2.1 倍そして3日目は2.0 倍と推移している。JR北海道の予測を上回るご利用を期待している。

札幌までの新幹線建設工事はまだ4本のトンネル工事が始まったところだが、15 年後の開業へ向けての期待が高まっている。我が国で4番目に開通した北海道の鉄道は北海道開拓に大きな役割を果たしてきた。現在は道民人口の減少に加え高速道路の延伸整備も進み鉄道事業は若干苦戦しているが、新幹線効果で鉄道の復権を期待している。