世界で快走新幹線

みんなの未来構想

ジェイアール東日本コンサルタンツ㈱ 顧問

溝畑 靖雄

「世界で“快走”新幹線」と躍る見出しのもとにタイのバンコク・チェンマイ間の高速鉄道で日本の新幹線の採用が決まったと報じられた。(2015.6.1 日刊工業新聞)

5 月27 日にタイと日本の大臣間で新幹線の導入を前提に事業化調査を行うことで覚書が交わされ、今後両国は共同で調査を行い詳細を詰めるとされている。

事業化調査費用を両国で分担して調査をすること自体が珍しいが、その前例はインドにあり、既に2013 年末からムンバイ・アーメダバード間(約500 ㎞)でインド・日本政府による共同調査が行われている。

この共同調査はまもなく完成するが、共同調査ではあるものの日本の新幹線導入をにじませた内容がインド政府の正式な案として確定されるには紆余曲折が予想される。たとえば、今や世界最大の高速鉄道王国となった中国を筆頭にフランス、スペイン、ドイツなどとの競争は予断を許さないものがある。しかし、新幹線を快走させるためには産・学・官一体となった財源調達、建設、人材育成、運営・維持管理にわたる幅広い協力が長期的に継続されることが不可欠であり、日本はまさにそのような協力を実施してきた実績がある。

戦後の賠償供与から始まったODA(政府開発援助)はすでに60 年の歴史を有しているが、たとえば1954 年に着手したミャンマーのバルーチャン水力発電所は完成後も設備増強、補修、主要機材の更新などに対して一貫して援助を継続しており、いまだにミャンマー最大の水力発電所としての威容を誇っている。

あるいはインドネシア・ジャワ島の東を流れるブランタス川の流域においても、ダム、灌漑設備の建設、農薬・農機具の無償供与による米の増産、水力発電によるスラバヤ近郊工業地帯への送電など、長期的かつ総合的な開発援助はわが国からの一方的な支援ではなく、日本とインドネシアが「共に考え、共に歩んできた」40 年にわたる成果と賞され、地域の経済発展だけでなく、インドネシアを支える人材の輩出にも貢献したと言われている。

鉄道分野でも鉄道は敷設されていないが、全長約4000 キロに及ぶコンゴ川に初めて架設された鉄道道路併用つり橋が、建設後30 年余を経てなおコンゴ・日本両国の建設当時からの技術者の連帯によりメンテナンス並びに有料道路運営が実施されている例がある。

昨年9 月、第2 回日本・アフリカ地域経済共同体議長国首脳会合が国連で開催され、安倍総理がスピーチをされた内容を少し長くなるが一部引用したい。

「さて本日は、コンゴ民主共和国からも、ご出席いただいています。
首都キンシャサを流れるあの雄大なコンゴ川に、大きな吊り橋がかかっています。マタディ橋といって、美しいたたずまいは、ハネムーナーが写真を撮る格好の背景になるのだそうですね。

日本の借款、技術を使って橋ができたのは、1983 年のことでした。去年、それから30 年経ったのを祝う記念の式典が開かれた時、日本から、元工事関係者が参加しました。「7 人の侍」と自ら称するエンジニアたちです。

自費で行ったというのです。よほどコンゴの人たちと働いた経験が懐かしかったのでしょう。両国の技術者は、橋の上で再会し、感極まって涙したといいます。「侍」たちが異口同音に言うのに、「あれから内戦があった。混乱もあっただろうに、30 年も経ったとは思えないくらいピカピカだ」。

営々と保守に努めたコンゴの人たちから1 人お名前を挙げるなら、維持管理部長のンデレ・ブバ・マディアタ(Ndele Buba Madiata)さんです。日本の歌が大好きというマディアタさんの献身を抜きに、整備が行き届いた理由を語れない。事情を知る人の、一致した意見です。

日本はインフラを作らせたら、長持ちするものを作ります。もっと大切なことに、働く喜びや、努力の尊さを、人々の心に残します。30 年後の再会を、涙して迎える友情をはぐくみます。

マタディ橋の物語は、改めてそのことを教えてくれました。いま日本は、次の世代に保守管理の技術を引き継ぐ支援を続けています。橋はコンゴ民主共和国と日本を結ぶ友情の印として、末永く生きていくことでしょう。(以下略)」

例に挙げたプロジェクトはいずれも建設当時の関係者の大変な苦労さらにそれに続く長期にわたる、人材育成と弛みない維持管理の結果、将来にわたってその効用を果たし続けているのである。

鉄道分野でもこのような成功例がいずれ実現すると期待すること大であるが、幸いインドには日本の援助で出来た日本式の地下鉄というデリーの成功例があり、ムンバイなど他の都市にも広がりつつある。

初期投資の多寡のみでなく0&Mノウハウ、ライフサイクルコストの重視並びに人材育成などを強く打ち出して、まずインドで新幹線が快走する事が世界に新幹線が広がる嚆矢になればと考える所以である。