東日本大震災からの津波被災線区の復旧

みんなの未来構想

大口豊 JR東日本 復興企画部長

2011年 3 月 11 日に発生した東北地方太平洋沖地震の津波により、沿岸部に位置する八戸線、山田線、大船渡線、気仙沼線、石巻線、仙石線、常磐線の 7 線区は、線路・橋りょう・駅舎等が流失する等甚大な被害を受け、さらに常磐線の一部では、福島第一原発事故により避難指示が出たことで、約 400 ㎞の区間で長期間の不通を余儀なくされた。発災以降、各線区の沿線自治体等と、復興まちづくりとの調整や復旧のあり方についての協議・調整を行いながら鋭意復旧を進め、今般 2020 年 3 月 14 日に常磐線富岡~浪江間の運行を再開することで、被災した 全線区で運転を再開した。

復旧の課題
津波により、鉄道施設のみならず、沿線の市街地や集落、道路や河川・海岸構造物等も壊滅的な被害を受けたことから、各線区の復旧にあたっては、復旧後の安全確保も勿論のこと、沿線自治体等の復興まちづくりとの調整を図りながら進める必要があった。具体的には、市街地の移転によるルート移設(仙石線東名~野蒜、常磐線相馬~浜吉田)、市街地の嵩上げ造成に伴う縦断線形の変更(山田線陸中山田駅付近・大槌駅付近、石巻線女川駅付近、等)の他、位置や幅員等が変更になり再整備される多数の道路や河川・水路との交差をどうするかという調整(各線区)が必要となった。また、これらの復興まちづくりとの調整に伴い、原位置復旧費からかかり増しと必要となった。また、これらの復興まちづくりとの調整に伴い、原位置復旧費からかかり増しとなる費用に対して、国等の支援が得られるのかということも課題となった。なる費用に対して、国等の支援が得られるのかということも課題となった。
被災した被災した77線区のうち、特に山田線、大船渡線、気仙沼線は、他の線区に比して被害規模が甚線区のうち、特に山田線、大船渡線、気仙沼線は、他の線区に比して被害規模が甚大なことに加え、震災前の時点においても輸送量がこの大なことに加え、震災前の時点においても輸送量がこの3030年で大幅に減少しており、復旧後の利年で大幅に減少しており、復旧後の利用者が確保できるのかという課題もあった。また、常磐線では福島第一原子力発電所から半径用者が確保できるのかという課題もあった。また、常磐線では福島第一原子力発電所から半径20Km20Km圏を圏を主体とした避難指示区域において、周辺市街地と同様に、運転再開に向けて放射線量を低減主体とした避難指示区域において、周辺市街地と同様に、運転再開に向けて放射線量を低減するために過去経験のない除染と復旧の両作業を併せて行うことが大きな課題となった。以下にするために過去経験のない除染と復旧の両作業を併せて行うことが大きな課題となった。以下にこのこの44線区の復旧について少し詳しく述べてみたい。線区の復旧について少し詳しく述べてみたい。

大船渡線(気仙沼~盛)及び気仙沼線(柳津~気仙沼)のBRT による復旧
上記の区間については、鉄道施設のみならず沿線市街地も壊滅的な被害を受けており、鉄道での復旧には相当の時間を要することが見込まれ、早期に安全な輸送サービスを提供するという観点から、 BRT (バス・ラピッド・トランジット)によ り仮復旧することとなった。 BRT は、専用道を走行すること等により、一般の路線バスに比べ、定時性・速達性に優れた交通システムを差すものだが、仮復旧としての BRT には以下のような利点があった。

① 専用道と一般道の併用により早期の運行開始が可能
② 地震や津波発生時も可能なところまで自力走行でき、お客様の避難が容易
③ 復興の進捗段階に応じた運行ルート設定や新駅設置等、柔軟な対応が可能
④ 鉄道敷を活用することで早期の専用道整備が可能で、速達性・定時性の確保が可能
⑤ フリークエンシー(運行頻度)を高めることで利便性が向上

気仙沼線では2012 年 12 月(同年 8 月より代行バス方式で暫定運行)から、大船渡線では 2013年 3 月から、仮復旧としての運行を開始し、その後随時専用道を延伸するとともに、沿線自治体の要望に応じて新駅等を設置した。運行頻度は鉄道の 1.5 3 倍に大増発し、バスロケーションシステムや専用の IC カードを導入する等、利便性の向上に努めた。
2015年度に入り、沿線自治体等から、当該線区の最終的な復旧形態を決めたいという意見が挙がり、国交省主催で沿線首長会議が開催されたが、この会議での 議論を経て、沿線の全ての自治体と BRT で本復旧とすることで合意に至った。本復旧合意後も宮城県のバック堤整備や各市町の市街地嵩上げ等の復興事業の進捗に合わせながら専用道整備や各自治体の要望に基づく新駅設置や駅の移転等を進めてきた。
合意に至るまでの協議では、鉄道復旧を求める意見を含め様々な議論があったが、現時点でご利用のお客さまには概ね好意的に受け止めて頂いており、今後の地域交通の維持存続の一つのモデルとなることを期待している。 2020 年度も整備中の専用道区間や新駅を幾つか残しているが、専用道は最終的に気仙沼 線で約 9 割、大船渡線で約 5 割とする予定であり、その他高速バスとの連携を図る等、今後も更なる利便性向上に努めていく予定である。

気仙沼線 BRT 津谷川橋りょう

山田線(宮古~釜石)の三陸鉄道への移管
山田線(宮古~釜石)は、大船渡線や気仙沼線同様の課題があったが、南北を三陸鉄道の南リアス線と北リアス線に挟まれているという地理的条件もあり、鉄道復旧に対する沿線市町の強い意向から、 BRT 仮復旧を二度提案するも「不要」という反応を受ける状況であった。 2014 年 1月に、地域に密着した運営により利用促進が図られること、一体化により効率的な運営が可 能となること等から、当該区間を三陸鉄道へ移管し南北リアス線と一体運営を行うことを当社から提案した。提案後、岩手県や沿線市町、三陸鉄道と協議を重ね、 2015 年 2 月に主に以下の内容で三陸鉄道への同区間の移管について合意に至った。

・山田線(宮古・釜石間)を三陸鉄道に移管し、南北リアス線と一体で運営
・鉄道施設は JR 東日本で復旧し、復旧後は沿線自治体へ譲渡
・復旧に合わせ、施設強化や運営効率化のための設備を整備(検修庫、現業事務所、等)
・移管協力金及び車両購入費用の提供
・人的支援や利用促進への協力

合意後、 2015 年 3 月より復旧工事に着手したが、沿線の釜石市で 2019 年秋にラグビーワールドカップの試合が開催されることが決まっていたことから、 2018 年度内の開業を目指して工事を進めた。当該区間においても、沿線 4 市町や県・国等の実施している様々な復興事業と調整しながら工事を進める必要があったが、 2018 年度内の三陸鉄道による一貫運行開始が関係者間の共通目標となり、相互に協力・調整しながら復旧を進めることで、 2019 年 3 月 23 日に三陸鉄道リアス線として運行を開始した 。

三陸鉄道リアス線(開業日宮古駅)

常磐線(原子力発電所事故に伴う避難指示区域の区間)の復旧
福島第一原子力発電所の事故以降、同発電所から概ね 20 ㎞圏内は国より避難指示が出され、測定される線量等に基づき3つの区分により居住や立ち入りが規制されてきた。その後、除染作業の進捗や現地のインフラの復旧などにより、放射線量が低減できた区域から順次避難指示が進められ た 。常磐線も周辺市街地の避難指示の解除や住民の帰還状況等に応じて、除染・復旧作業を進め、鋭意運転再開を進めてきた。
最後まで不通となっていた富岡~浪江間は、福島第一原子力発電所に近接し、他の区間に比較して空間線量が高く帰還困難区域に指定されており、運転再開には線量の低減が重要な課題であった。鉄道施設の除染はこれまでに先例もないため、どのような作業を行えば線量の低減に効果的であるか等、知見やデータの蓄積・検証を目的として、 2015 年夏に現地において除染の試験施工を実施し、一定の線量低減効果を確認することができた。
当該区間の除染作業は本来国が実施する事業だが、線路の構造や作業計画等を考慮すると、当社が復旧と除染を一体で行うことが安全かつ効率的であり、国関係機関との調整を経て鉄道用地内は当社が一括して除染・復旧工事を実施するとともに、仮置き場の確保や発生材の処理等について、国や自治体等の協力を受けることで課題解決の目途が立ったことから、 2016 年 3 月より除染・復旧工事に着手した。
地震により崩壊した盛土や橋りょうの復旧、草木の除草・伐採、表層土撤去やバラスト取替、法面への植生基材・モルタル吹付等、除染と復旧を一体で進めるとともに、福島県の河川改修や国の道路整備、各自治体の駅周辺施設整備等、復興事業とも調整しながら、工事を進めた。

除草/路盤・法面すきとり(大野~双葉)

モルタル吹付(夜ノ森~大野)

2017年 5 月には福島復興再生特別措置法が改正され、特定復興再生拠点区域の制定が行われることで帰還困難区域でも除染やインフラ整備などの環境整備を整えて避難指示解除への途が開かれ、鉄道用地を含む同区域の計画が沿線 3 町で作成されることで、 2019 年度末には鉄道施設と一部の周辺市街地等が先行して避難指示解除が行われる見通しとなった。
その後も鋭意除染・復旧工事を進め、最終的に国による線量の低下も確認されたことから、2020年 3 月初旬に各町の復興再生拠点区域の避難指示が解除され、 常磐線も 2020 年 3 月 14 日に全線運転再開となった。

震災から約9年という月日を要したが、BRT運行区間も含めて被災した全400㎞での運転が再開となった。国交省を始め様々な皆様にご指導・ご支援いただいたことに感謝するとともに、復旧に携わられた全ての方に御礼を申し上げたい。今回の復旧を通じて、復興まちづくりとの調整、地域交通のあり方を含めた議論、等、地域の方々と今までにない程密に協議・調整を重ねたが、交通事業者として地域との新たな関係を構築できたことも復旧の一つの成果であると考えている。被災線区の復旧は一段落となったが、今後は「復興の第2ステージ」として、被災地への誘客を図る等、東北エリアの活性化に努めて行きたいと考えている。