ジェイアール東日本コンサルタンツ(株)
土井 博己
なぜ人は旅に出るのか。なぜ人は旅に焦がれるのか。なぜ人は故郷を離れようとするのか。これは永遠の謎のように言われているが、人類がこの土地に誕生した時から、わたし達の身体のどこかに“旅に出なさい”という声が消えずに残っているのではないかと思う。
私たちの種の誕生はアフリカの高原にあるらしい。それがどうして世界中に分布したのだろう。人類は山を越えればなにか幸せの土地があると思ったのかも知れない。目の前の海に漕ぎ出せば新天地があると夢見たのだろうか。自然の中にあるささやく声、人知れず生きて私たちを支えているものたちに導かれたのかも知れない。
日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが生まれたのは、スペインのある片田舎である。ザビエルが生まれ育った家の小さな部屋に古い椅子があり、ザビエルが少年時代に思索する折、座っていた椅子である。布教のために遠いアジアの国を巡り、日本に辿り着いてからも苦難の日々を送った一人の宣教師が少年の時にどんな憧憬を抱いて、この椅子に座り、どんな表情で勉強をしていたのだろうか。ヨーロッパに日本人の人となりを最初に伝えたのはザビエルだった。ゴアにいる友人にあてた手紙にザビエルの素直な日本人の印象が記してある。「日本についてこの地で私たちが経験によって知り得たことをお知らせします。この国の人々は今まで発見された民の中で最高であり、異教徒で日本人より優れている人々は見つけられないでしょう」。世界のあちらこちらに“巡礼の道”がある。信仰とは対話であり巡礼もまた神との対話である。人間が神の存在を必要としたのは、私たちの生には哀しみが根本にあり、それを克服するために誰かとの対話が必然なのだという説もある。巡礼者の姿を見ていると、宣教師として世界を旅したザビエルの生涯と、彼の慈愛に満ちた精神を考えさせられる。
作家の城山三郎は、人生の中に“無所属の時間”を持つことをすすめている。“無所属の時間”とは、私たちが生きて行くうえの時間で、それをなすことが何かに繋がる時間、たとえば仕事に役立つとか、何かの役に立つとか、そういうものに関わることのない自由で、解放された時間のことである。本来の旅は、まさに“無所属の時間”を持つことと言える。
駅でよく見かけるポスターに「大人の休日クラブ」があり、女優の吉永小百合が「おとなになったらしたいこと」と、旅へ出かけるよう誘いかけている。若い時の旅は好奇心だけが自分の感情を募らせたが、やがて社会人ともなると旅は仕事が絡み、好奇心とか冒険心という感情と無縁となる。そして晩年を迎えた近年、好奇心や冒険心ではなく純粋な気持ちで旅をしたいと思う。そんな時、人類がこの土地に誕生した時からわたし達の身体のどこかに“旅に出なさい”という声が消えずに残っているのだと確信している。