ふたつの土木 - 建設と保守

みんなの未来構想

国立研究開発法人 防災科学技術研究所

気象災害軽減イノベーションセンター長

島村 誠

プラットフォーム通信の「トップオピニオン」に、たまには維持管理や防災の話を書いてもらえないかと頼まれ、快諾したはいいものの、何を書いたものやらと悩んでいるうちに冒頭のような大それたタイトルになってしまった。

「これからは建設から保守の時代」という認識は、たとえばアメリカ合衆国の場合、1960 年台後半から道路・橋・上下水道施設などの社会インフラに対する適切な維持管理投資がなされず、1970 年代の終わりころに至って「荒廃するアメリカ」が、社会問題として大きく注目されるようになって広まった。我が国において「改廃する日本」はあり得るだろうかというのは、その頃の我々にとっては、漠然とした不安でしかなかったのだが、気がついてみると2012 年の中央高速道笹子トンネルの天井板落下事故のようなことが突如起こって、すでに危機的な状況になっていたという有様である。

ただしこれはあくまで道路の話であって、国鉄・JR の土木構造物は、戦後の復興期から営々と築き上げてきた直轄マンパワーを基盤とする点検・検査、補修・補強及び取替システムが道路に比べればはるかにうまく機能していると思う。鉄道と道路の現状の違いはさておき、共通のトレンドとしての「建設から保守へ」を考えるにあたって、ひとつの大きな問題は、保守技術とは一体何なのかについて、建設技術ほど明確な考察や定義がなされてこなかったという点である。建設と保守というのは仕事の縄張り分けではなく、これからは一人の土木技術者が両方の技術を具備する必要があるのだが、その違いを理解することはやはり重要である。

建設とは、定められた計画や技術基準にしたがって、一つ一つ計算通りモノを作ることであり、保守とは、膨大なストックにおいて生起する計算に乗らない不測事態に対処すること - これをさらに煮詰めると演繹と帰納の違いだということになる。そして、保守業務の遂行に不可欠な帰納推論に今日あらゆる分野でのイノベーションを論じる上でのバズワードとなっている、IoT、ビッグデータ、AI などのICT を組み込むことがこれからの保守技術のコアになるのではないかと考えている。

ところでAI といえば、最近コンピュータ囲碁プログラムAlphaGo が人間の世界チャンピオンに勝って話題になったが、少なくとも今のところAI が解けるのは、囲碁、将棋や音声認識、画像認識のように、どんなに複雑で計算量が膨大であるにせよ解くための規則がアルゴリズムとして記述できる問題だけあり、いわゆる「計算できない」問題は解くことができないと考えられている。鉄道における身近な例として、「この駅間では何mm の雨が降ると土砂崩壊が発生するか?」というような問題を考えてみると、これは計算に乗らない問題の典型例で、一見してAI で解けるようには思えないし、過去の崩壊事例のデータがなければ経験的にも答えることができない。しかしながら「列車を安全に走らせるための技術」という観点で考えてみると、本来解くべき問題は「何mm までの雨なら災害が発生しないか?」であることがわかる。そうなると注目すべきなのは、めったに起きない災害や事故の発生事例ではなく、膨大な「非発生」すなわち正常値のデータのほうだということになる。

たとえば、偽札の判別をする場合、新品、シワになったもの、汚れたもの、部分的にちぎれたものなど、いろいろな状態の本物の札を数多く用意し、それらとどれくらい似ていないかで本物と偽札の判別をすることになる。偽札の種類は無限にあり、ひとつの偽札は判別できてもすぐに新しい偽札が作られるため、いくら偽札の研究をしてもキリがない。保守の分野においても数少ない異常値のデータを個々に考察するのではなく、まず膨大な正常値データによって張られる空間全体を把握し、そこから外れるデータを危険の予兆の把握に活用するのが、ビッグデータ時代にふさわしいアプローチだといえるだろう。

建設優先の時代においては、作るべきモノのあるべき姿というものが先にあり、一般法則や理論を援用し、演繹推論によって問題解決に至るというのが工学の王道だった。この方法論が通用しない保守の分野には、「どうせ経験工学だから」という嘆きとも自虐ともつかない形容が伴うのが常だった。また、学術の主流においても、経験やデータは、理論や法則から外れる誤差や偏見を伴うものであることから一段低く見られていた。

しかし今や時代は変わったのである。法則や理論と称するものは現実の近似値に過ぎず、現実と法則や理論とのズレは、観測者に責任を帰すべき「誤差」ではなく、まさにシステムそのものに内在する「不確実性」に起因するのだという理解が進むことにより、現実データからシステムを駆動するメカニズムを推論する帰納的なアプローチの重要性と有効性が認識されるようになり、それに呼応してAI を始めとするコンピュータを用いてこのアプローチを実行する様々な技術が猛烈なスピードで開発されている。これによって、経験やデータを起点として安全・快適に列車を走らせるための保守技術の方法論を革新する時がやってきたと感じている。