歩行者空間の創造(新宿駅南口のケース)

まち

ジェイアール東日本コンサルタンツ(株) 顧問

溝畑 靖雄

甲州街道から代々木方約1.4haの線路上空にバスタ新宿が姿を現わしたのは今年の4 月4 日である。関連工事の「一般国道20 号新宿跨線橋架け替え工事」が平成12 年3 月に着手してから16 年、本体工事の「新宿駅南口地区基盤整備事業」が平成18 年1 月に着手してからも10 年余を要しており、狭隘な大ターミナルにおいて日本最大の乗降客数をさばきつつ、駅施設ならびに都市交通施設なかんずく貴重な歩行者空間を線路上空に完成させる長期にわたる難工事が大きな節目を超えた。

完成した建物は4階建て(一部7階)で2F に駅施設・歩行者広場、3F にタクシー乗降場、4F に高速バスターミナルが設置され、駅施設はともかく歩行者広場、タクシー乗降場、高速路線バス関連施設は画期的な線路上空施設である。とりわけ2F 代々木方に設置された植栽も備えた公園は線路上空のゆとり空間として素晴らしいの一語に尽きる。

昭和50 年10 月に国鉄東京第三工事局に赴任したころ、今も残る13 階建てのJR 新宿ビル8階で貨物駅施設を新宿御苑側に見下ろす線路側の部屋に勤務していた。さっそくスト権ストで8日間の籠城を強いられた時代である。今から思えば新宿南口の発展はそのころから始まり40 年かけてこの春、新宿駅代々木方の鉄道用地を舞台とした抜本的な街づくりが一つの完成形を迎えたと思う。

この間、このエリアに大きな影響を与えた主なプロジェクトを挙げると下記の7件を数えるが、小生が関与したのは1、2,4、であり3,5―7が完成して、巨大な建築物とそれらをつなぐ今日の歩行者空間が完成したと考えるのである。

1 新宿南口コンコース拡幅(ルミネスクエア)

2 埼京線の新宿乗り入れ(ルミネ2)

3 貨物跡地開発(高島屋、紀伊国屋、東西こ線通路など)

4 JR 東日本新本社ビル建設(サザンテラス)

5 国道20 号こ線橋架け替え(道路幅員30mを50mへ 車道6車線変わらず)

6 新宿交通結節点整備(新宿バスタ)

7 新宿駅新南口ビル(JR 新宿ミライナタワー ルミネからNEWoMan へ)

成長を続ける新宿の発展は歴史的に東口、西口から始まってきたが、当時、南方面の成長が予測され、最初のボトルネックは甲州街道跨線橋とつながる南口のコンコースと改札設備の混雑に既に現れていた。この解決のため、コンコースの幅員を15mから35mに拡げる工事計画が承認され完成したのは昭和57 年9 月である。コンコース拡幅だけでは増収を伴わないため投資効果が算出しにくく、決定までに時間を要したが、決め手になったのはコンコースを2層にしてルミネスクエアを新設する事による関連事業収入を加える発想であった。

これにみられるように、昭和51 年3 月にルミネが国鉄出資駅ビルとして角筈に産声を上げて以来、新宿エリアにおける店舗拡大が都市整備に及ぼした貢献も見逃せない。ルミネスクエアに次いで埼京線の乗り入れのワンチャンスを生かしてルミネ2の7階建ての建築物を完成させたが、昭和59 年当時、年度計画にも計上されていなかったルミネ2建設のための基礎工事を、年度途中にもかかわらず、線路のない状態で施工するために埼京線の工事が始まる前に先行着手することで工事費を削減した当時の経理・建設局の先輩方の水際立った連係プレーは忘れられないものがある。国鉄改革の機運が盛り上がっていたころであり、この決断がなければルミネ2は存在しなかったであろう。

ルミネ自身もルミネ1、ルミネ2、ルミネエスト、そしてNEWoManと成長を遂げた。

ルミネ2の完成により店舗内に歩行者空間が生まれ、甲州街道の歩行者混雑の解消に貢献するとともに、甲州街道北側のスカイラインは定まり、バスタ新宿の完成により、南側のスカイラインも定まったので 一段落と考える所以である。
つまり、新宿南口地区の問題の本質を構成していたのは、甲州街道から代々木周辺に至る歩行者空間が貧弱なことと、南口改札の乗降客は駅前広場がない状態で甲州街道に直面する事であった。

この課題を、基幹交通インフラの鉄道と道路が見事な連携で解決したと思う。
甲州街道は、大正14 年設置以来の老朽化の進展と耐震性の向上を目指して抜本的な補強工事が実施されたが、道路幅員は30mを50mへ拡幅したものの車道6車線は変えておらず、両側8mの歩道を確保している。いわば、16 年に及ぶエネルギーとコストは橋梁本体の強化と歩行者空間の整備に充てられたといつても過言ではない。

加えて、東口・西口と同様、南口にもようやく駅前広場が整備された。南口改札の前は甲州街道だからどこに広場が?と思う向きもあろうが、鉄道と道路の協定に基づく広場がバスタ新宿には整備されている。見事な両者の知恵と協調の成果にほかならないとおもう。