青函トンネル3つの謎

みんなの未来構想

独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構 理事

服部 修一

北海道新幹線は来年 3 月の新青森・新函館北斗間開業が発表され、現在は青函トンネルに訓練運転の列車が走行しています。私は、昭和53年に日本鉄道建設公団に入社し、翌年から4年余り青函トンネルの吉岡ならびに竜飛工区で勤務しました。工事に従事していた当時は何もわからず無我夢中でおりましたが、今振り返ってみると何故だろうと思うことがあります。

1. 最小土被り 100mの謎

青函トンネルの海底からの最小土被りは 100mと設定されています。「津軽海峡線工事誌」によれば調査段階である昭和 30 年代は 70mと想定していたようです。しかし、40 年の「調査に関する工事実施計画」では海岸付近が 70m海底中央部で 100mとなり、最終的に 46 年の「工事実施計画」の段階で 100mになったようです。同工事誌は、「海底下の掘さくに多年の経験を持つ炭鉱の石炭鉱山保安規則を参考にし、海岸付近を 70mとし、海峡中央部は地質の固結度が低いことなどから100mとした。」と記述しています。

当時の石炭鉱山保安規則(昭和 24 年制定)には、海底下での掘削禁止箇所として「第四紀層が五メートル未満のときは、第三紀層の厚さ六十メートル未満の箇所」(第 384 條 3 号)と規定されており、調査段階の最小土被り 70mはこれを参考としたものと思われます。

持田豊さんは、「物理探鉱」(vol.34,no.1)に、海底部の土被り 100mの理由について「①トンネル内で大きい崩壊が発生して、崩壊した塊でトンネルが満たされてなおかつ海底まで崩壊が直接及ばない深さは約 50m程度である。②過去の陸上トンネルの例では、直接トンネルの崩壊で地表が陥没した深さはおおむね 70m以内である。③調査坑から海底へ向かってボーリングを施工した結果、海底の風化は20~30m程度である。④海底炭鉱の採掘制限等の理由を併せて考えて、100mとすることにした。」と書き残しておられます。すなわち 70mプラス 30mで 100mとしたものと考えられます。

46 年の「工事実施計画」時点では、新幹線も考慮して 1000 分の 12 の緩い勾配を最急勾配としたため、海峡中央部を最小土被り 100mとすれば、必然的に海岸部でも 100mを超えることとなったと思っておりました。ところが、本稿を書くにあたり再度工事誌の縦断図を見直してみたところ、本州側海底部の少なくとも 4kmの区間で 100mを下回っており、90mを切っている地点もあることがわかりました。

青函トンネル完成以降、トンネルの崩壊で地表が陥没した深さは、北陸新幹線の飯山トンネルで190m、上信越自動車道日暮山トンネルで 130m を経験しております。もし青函トンネル海底部でこのような事象が起きていたら大惨事となったばかりか、復旧不可能であったと思います。先進ボーリングや地盤注入などの慎重な施工によりそのようなことは起こらず完成できたのですが、振り返ってみて、土被り 100mはもしかしたら「薄氷を踏む」状態だったのかもしれません。

2. 注入範囲3R の謎

トンネル周囲の地山に施工する注入の範囲は、掘削半径の 3 倍(3R)を標準としておりました。土木学会に設置した「青函トンネル土圧研究委員会」の昭和 46 年度報告書によれば、3R を導きだしたのは下河内稔さんと工藤明さんで、当時は日本鉄道建設公団入社 5 年目、3 年目の若手でした。

両氏は弾性理論により、地山の注入域で注入域外の土圧を受けるとすると 3R より注入域を拡大しても効果はほとんどないということを計算しました。図 1 は、その報告書に載っている図です。この図を見て驚くのは、トンネル周囲の地山で地山の圧力を受けるという NATM の思想そのものであるということです。

日本で NATM が導入されたのは昭和 50 年代であり、昭和 53 年にオーストリアから Müller 博士が来日し、22 枚のスライドを使って NATM の基本原理について講演をおこないました。その中の 1枚が図 2 です。従来のトンネル(右)は、トンネル上部の緩んだ岩塊を2つのアバットに支持されたアーチで受けるという考え方であったが、NATM(左)は地山の支持リングと支保工または覆工から構成される厚肉円筒とみなすというものです。両氏が描いた図1とそっくりです。

両氏は昭和 46 年にどうやってこのような発想を得たのでしょうか、というようなことをある大学教授に話したところ、「そんなんカスナーが書いとるやん。」と言われました。わが社の書庫でH.Kastner著の「Statik des Tunnel-und Stollenbaues」(1962〈昭和 37〉年刊)という本を見つけ、調べてみると図 3 が掲載されています。ドイツ語で書かれておりよく理解できないのですが、トンネルを厚肉円筒として取り扱っていることは確かです。しかし「地山の支持リング」という考え方の図は見あたらないようです。

それにしても、随分早い時期に NATM の思想を取り入れ、注入ゾーンの決定という重要なことに応用したものだと敬服します。しかし、その後 Müller 博士の講演までの間、この考え方が他のトンネルに普及しなかったのはどうしてでしょうか?

3. 覆工ひずみ変動の謎

青函トンネルは世界に前例のない特異な構造物であることから、開業後も湧水量測定、内空変位測定、覆工コンクリートひずみ測定などの計測を継続して実施しています。30 年近くこのようなモニタリングを実施しているトンネルは他に例がないと思います。このうち、覆工ひずみについては、日単位(図4)、月単位(図5)、年単位の周期的な変動があり、潮位の変化と連動していそうだということを先山友康さんが発見しました。

地球物理学者によれば、海水の干満と同様に地殻も半日単位で 30cmも上下動しているそうです。それが青函トンネルの覆工にひずみの変動として表れているとしても不思議はありません。

近々新幹線の営業列車が走行する青函トンネルの覆工コンクリートが健全であるか否かを評価する手法の開発は重要な課題です。近年、オーバーコアリング法によってコンクリートに発生している応力を3次元で精度よく測定する技術が発達してきました。覆工コンクリートに現に作用している外力とひずみの関係を明らかにできれば、覆工コンクリートの耐荷力にどれだけの余裕があるのか推定できます。
ところがその外力を直接測定することは困難なので、(まったくの私見ですが)ひずみの周期的な変動幅から外力を算定できないものかと思っております。どなたかチャレンジしていただけませんか?

私が青函トンネル工事に携わることになったころは、すでに建設に必要な技術はほとんど確立しており、技術的に貢献できることは全くなかったのですが、私より少し年上の先輩たちは、この未知の大プロジェクトを通じて新しい技術に挑戦し、大きな成果を挙げました。来春の新函館北斗開業により、国土インフラとしての青函トンネルの重要性はさらに高まります。国民共有の財産として永く機能させてゆくためにも、建設時の知識や技術を後輩たちに伝えてゆくことが、建設に携わったわれわれの責務だと考えております。