「街のフリンジ」の記憶

ひと

三井不動産㈱開発企画部 環境創造グループ長

雨宮 克也

私に物心がつき、「街」という外部環境を意識できるようになったのは3 歳になる少し前、家族で都心から郊外のニュータウンに移り住んでからだ。時代は高度成長期、公団型中層集合住宅と整然と街割りされた戸建街区を中心に計画されたその街は、人生双六よろしく、郊外のマイホームを実現する羨望の的だった。父は保留地分譲のくじ引きに当選してそれまで縁も所縁もないその土地に移り住むことを決めたのだ。

私は初めてその街に降り立ったときのことを鮮明に覚えている。駅前ロータリーと放射線状の街路計画、メインストリートのけやき並木は新緑を揺らし緩やかな下り坂で延びていた。街区は緑豊かな集合住宅が整然と配され、まるでウルトラ警備隊の近未来都市に迷い込んだような高揚感を感じたのだった。

私の家は戸建街区内にあった。幼稚園までの道のりは整然とした住宅地内の6m道路と幹線道路を歩いて集団通園した。帰宅後は同じく新住民(開発団地に移住してきた住民、の意。)の友達と家の庭や近くの公園、あるいはところどころに残る生産緑地に入り込んで遊んだ。ピアノ教室も書道教室もすぐ近所、同じ住宅地内だ。開発地全体は、電車の駅で三駅分の線路と県道で囲まれた概ね200ha ほど。その中が子供の頃の私のメインフィールドだった。そこは私の日常の場であり、いわばホームであった。
小学校にあがるとニュータウン内の同じ学校に通う開発地外の子供たちと必然的に仲良くなる。自転車のお陰で行動範囲は格段に広がった。開発地の外、今は自然公園として整備された一帯は当時まだ広大な谷戸だった。そこが彼らのホーム。水田が一面に広がり、畦道と用水路を渡り歩きながらのザリガニつりやカエル捕りのメッカだ。私たちがそこに入る時には必ず彼らと一緒。新住民だけではその地に入らないのが暗黙のルール。そんな社会の微妙も学んだ。友人の家に遊びに行き、土間のある台所、外焚きの薪風呂などを初めて見た。祖父母と一緒に住み、親戚が隣同士という住居環境にも驚いた。ドッチボールや缶けりのルール、ジャンケンの掛け声までも違っていた。

前述のとおりに開発地と非開発地とは電車の線路と県道により明確に区切られていた。その線は線路と道路という物理的な分断線であるとともに、道路や公園、上下水道、都市ガス等、面的なインフラの整備状況の違いの境界線として誰の目にも一目瞭然だった。しかしそれは決して開発と非開発を対立的に区切る線ではなかった。開発と非開発の善悪を問うような次元の低いものでもない。今、それを私は「街のフリンジ」と勝手に呼んでいる。子供の頃の私がフリンジのエリアに足を踏み入れること、それは日常から非日常への冒険だった。そこはアウェーではあったが敵地ではない。日常に戻る安心を確保したまま非日常での戸惑いと興奮を覚える素敵な体験のゾーン、それが私にとっての街のフリンジだった。
子供の頃の私は土木計画とか都市計画という言葉をもちろん知らない。しかし人が自然に働きかけて創り出すさまざまな開発によって、自分を囲む世界(つまり人が生きるためのインフラ、街というもの。)が創られていることを肌感覚で知った。それは街と街のフリンジを行き来する実体験で感じ得た、理屈を超えた観念的なものだ。

私は今、大人になって幸せなことに街づくりにかかわる仕事をしている。そして自分に対して、自分が子供の頃に感じたような人への働きのある仕事が先人たちのようにできているかを問うている。成長期を経て成熟期をむかえた日本。これからの日本が必要とする広義の開発とは…?そんな大それたことを考えるときに、私は子供の頃の記憶、「街のフリンジ」を今一度思いおこしている。

街の開発には結果として街のフリンジが生まれる。そこには開発前のその土地の生活や文化が残りつつ開発地とともに新たな域圏を形成していく。やがて時代は変遷し、以前とは違った域圏で新たな開発の要請が生まれてくる。そしてその開発によりこれもまた以前と質も内容も異なる街のフリンジが形成される。そしてまた次の時代へ…。開発される街と街のフリンジは正のスパイラルを形作る。それにより国土利用の価値は高められていくのだ。

すなわち街のフリンジとは、過去の人々の努力のうえに今があることの確認とリスペクトの場である。そして同時に私たちが将来の人々のために今を変え、経験と技術力を蓄積していく義務を再確認する場でもある。街づくりの仕事とは、常に国土とそこにある人の営みに向き合い、今に力を発揮することにより将来の恩恵に継続性を委ねるものである。まさに、「国土への働きかけをしなければ恵みを受け取ることはできない。(大石久和氏、(財)国土技術センター理事長の言葉から引用。)」、である。

開発される街と街のフリンジの正のスパイラル。そのようなイメージを心において、私は「今」の自分の仕事に取り組んでいきたいと思う。