再び『自動者』交通を考える

みんなの未来構想

東日本旅客鉄道(株)技術顧問

斉藤 親

(『自動者』?!)

改めて、日常生活における街中での交通手段の選択を思い返してみたい。そこでは、大きく二者から選択しているのではないか? 一つは、ドアツードアで「自動的に運ばれる」自家用車・営業車や(少し歩くが)タクシーといった『自動車』の選択。今一つは「自らの足を使い」歩き(自転車を)こぎ、あるいは途中バスや電車に乗り継ぎ目的地に向かうもの。後者を、私は、自ら体を動かすことを強調し(駄洒落で恐縮ですが)『自動者』交通と呼びたい。都市交通を、自動車と自動者の交通に分けて考える―実はこの話、私の役人生活卒業を目前にした10 年程前、ある交通関係の雑誌の巻頭言に書いたもので、人口減少時代・超高齢社会の到来に向け、本格的なコンパクトシティ化への対応を促したものだった。それを今またここに持ち出す気になったのは、昨今の政府における地方の活性化、都市の再生の論議からだ。ご承知の通り、キーワードは「コンパクトシティ+ネットワーク」で、関係資料には、「駅を中心としたコンパクトな市街地」「歩いて暮らせる街」「公共交通を軸としたまちづくり」など、都市交通、特に『自動者』交通に深く関わる言葉が躍っている。これを機に、上記巻頭言に適宜加筆しながら、本誌読者の皆さんと共に、『自動者』交通について再び考えてみたいと思う。

 

(『自動者』交通区分の意味)

私は、自動車と自動者の2区分の都市内交通について、少なくとも次の三つの意味を伝えたいと思っている。

(1)ラージ歩行者交通という意味

言うまでもなく歩行は、街中での交通手段の基本で、自転車を健常者の代替手段、バスや電車を補助手段と考えると、これら歩行者交通を須らく歩行―ラージ歩行者交通―と捉えることが出来る。LRTの先駆的導入で有名な仏のシュトラスブール市、中心街における自動車から歩行者への復活を唱え対立候補を僅差で破った女性市長の選挙演説では、「LRTは歩行の延長上」と語られた。豪州メルボルンでは、最近、中心地区のLRTが全面無料化され、歩行者・自転車の補助手段であることを鮮明にした。よく耳にするフレーズ「歩いて暮らせる街」も、「歩いて」をこのラージ歩行者交通として解釈するとより現実的に思えるのではないだろうか。

(2)ラージ公共交通という意味

次に、各交通手段について、移動中の空間的な環境について考えてみよう。自動車は、公道上を走るが、その最大の特徴で利点ともなっているのが、「私的な空間」に包まれて移動するという点だ。その裏返しで言えば、自動者は、歩道上であれ車内であれ、「公共的な空間」を他人とシェアし気遣いながら(そうでない輩もいるが)移動する。この点を強調すれば、自動者交通は―ラージ公共交通―とも言えるのではないか。因みに、公共交通という言葉の「公共」の真の意味は別にあると思われる。

(3)動く権利からの意味

一昨年の暮れに、「交通政策基本法」という法律が成立した。この法律の解説は省略するが、その作成過程で、実は重要な議論―「動く権利」の明文化―がなされた(結局陽の目を見なかった)と関係者から聞いた。「動く権利」あるいは「移動権」は、目的地までの移動希望を実現することを「人の基本的な権利」とするもので、既に、英仏では定着している。この動く権利では、物理的に、経済的に、あるいは確実性などの諸事情のもと、現実的に自動車か自動者の2者いずれかが選択可能であると解釈でき、単なる便利や不便を超えた重たい意味があるという訳だ。因みに、もう20年近く前、都市交通の将来展望を諮問した都市計画審議会では、都市内公共交通が「都市の(具備すべき)装置」と位置付けられたが、これも同様な視点からだったと記憶している。

 

(注意すべき都市交通の現状)

やや哲学的な話になってしまったが、ここからは、今後の自動者交通の改善に向けた取り組みについて考えてみたい。ただその前に、都市交通の現状について、最近の国交省都市局調査データから、特に2点ほど注意喚起をしたい。

一つは、「歩いて云々」と久しく言われているにも拘らず、最近の実態のトレンドは、都市の大小を問わず歩かなく(歩けなく?)なっていること。データの紹介は省略するが、同じ移動距離での自動車選択のシェアが上昇し、加えて、そもそも移動距離が長くなり自動車にシフトしているというのだ。

その一方で、平成12年に、調査開始以来初めて、東京圏で自動車の選択シェアが低下傾向を示したこと。戦後日本の復興と成長を象徴する言葉の一つに「モータリゼーションの進展」があるが、この「初の低下」はあるいは歴史的転換の兆しか? 国交省の関係者は、まだまだ自動車シェアの高まる全国の多くの都市圏に、今後この低下が波及していくかは不明と語っていたが。

 

(自動者交通改善への取り組み)

自動者交通に関しては、既に色々な取り組みが始まっている。この紹介は省略し、私からは、既述のラージ歩行者交通、ラージ公共交通の視点夫々から、何としても取り組みを期待したい施設整備、サービス供給の抜本的な改善の一つの方向について述べさせて頂き、本投稿を終えることとしたい。

(1)都市内道路の「断面構成」改良のネットワーク的取組み

都市の骨格をなし、自動車・自動者を問わずその主たる交通空間となるのが都市計画道路だ。その現在の整備率は約60%強(延長ベース)で、混雑緩和の決め手となる環状道路の完成や踏切の立体化など、まだまだ整備が待たれるものも少なくない。しかし、長らく整備進展の実感が薄いと指摘されてきたのが、歩行者や自転車の空間だ。立ち並ぶ電柱や少ない緑では、健康のため以外で積極的に歩く気にはなれない。狭い歩道上を我が物顔で走り、所狭しと放置される自転車の迷惑は日常茶飯事。歩行の延長上にある鉄道やバスのバリアフリー化がようやく本格化しているが、タイミングよく乗ったバスや路面電車は自動車と同居しながら汲々として走る。またまた仏の例で恐縮だが、10年ほど前に訪問したボルドー市長の選挙公約は「都心の道路面積の40%を非車道化」というもので、いわば自動車から自動者に空間をシフトし与えるというもの。我が国も、そろそろ延長ベースの整備率だけでなく、自動車と自動者が適切に空間をシェアする断面構成の改善を整備目標として社会に示す時が来ているように思える。勿論、整序を求められる自動車交通に対し、相当な意識改革の努力が大前提となることは言うまでもない。最近よく、「道路改良(新設・拡幅)から維持管理の時代へ」と聞くが、私はその前に、その道路予算の「中間的な事業」として、必要な自動者の空間を道路断面構成に確保した自動者交通ネットワークの形成に本格的に取り組むことを強く求めたい。この事業は、合意形成と意思決定さえあれば、用地買収もほとんどなく費用も時間もそれほど掛からないのだ。

(2)都市内公共交通の「事業採算」枠組みの根本的見直し

自動者にとって、都市内におけるバスや電車など所謂公共交通サービスのあり様は切実な問題だが、一部大都市の鉄道を除き、営業距離や利用者数とも減少の一途を辿っている。LRTやBRT論議が展開される横で、多くのバス路線の廃止が進んでいる。これらは、経営問題が最大の原因だが、自動車交通との摩擦が課題となっている場合も少なくない。一方で最近、自治体による地域限定のコミュニティバス、福祉のバスなどが急速に広まっている。再三の仏の例で恐縮だが、都市圏交通については、関係自治体が協議会であるべき公共交通サービスを先決めし、その実際のサービス供給と費用を民間交通事業者への競争入札で低廉化させ、最後に国の助成も含めた関係者の税負担で成立させるという方式をとっている―つまりは{費用-収入=税金}を基本的枠組みとし、赤字補てんという概念を取らないという訳だ。現在わが国でも、公共交通に対し公設民営化の法制度や助成制度が整備されつつあると聞く。
コンパクトシティの実現に向け、自動者の動く権利のその全てを税金で支えると言わないまでも、福祉予算の導入などを含め、公共交通の事業採算の枠組みに根本的なメスを入れること強く望みたい。

(付記)

都市内交通について、ここまで「人の動き」に焦点を当て述べさせて頂いたが、実はもう一つの交通に「物の動き」があり、道路空間の自動車・自動者シェア論議では、特に貨物自動車の挙動(走行・駐車・荷捌き)が密接不可分である。この点を紙面の都合上省略したことを付記しておく。