駅への興味、映画「駅・STATION」

ひと

㈱JR東日本建築設計
代表取締役社長
伊藤喜彦

私は平成元年、JR東日本に建築系採用として入社しました。志望理由は、多くの人にとって活動の拠点である駅をより魅力あるものにしていきたい、「建築」という自分の仕事が形になって残るという視点から駅の設計をしたい、という理由でした。JR東日本では35年間多くのプロジェクトや駅改良に関わる業務をしましたが、自分が設計した駅、というのは1つもありませんでした。しかしながらJR東日本の最後の5年間にTAKANAWA GATEWAY CITYのまちづくりに参加することができ、駅(この場合は高輪ゲートウェイ駅)の存在の大きさに改めて感動したのでした。駅を設計したことがない、そんな私が、2024年6月から設計事務所の社長を務めているというのも不思議な感じがします。ただ人生を振り返れば、縁に導かれたという感じもしているのです。
初めて駅の持つ魅力に興味を持つきっかけになったのは、私が高校3年生、1982年(昭和57年)の時に映画館で見た映画「駅・STATION」でした。約2時間の映画の冒頭シーンが、警察官であり射撃選手としてオリンピックを目指す高倉健と離婚する妻いしだあゆみの別れのシーンでした。舞台は函館本線「銭函(ぜにばこ)駅」。映画では「ぜにばこ」という駅名標は映っていたのですが、後になって北海道にある駅ということがわかりました。雪が降る中、ホームに入ってきた汽車にいしだあゆみが一人息子と乗り込み、汽車が発車しホームを離れていく。汽車のデッキに立ったいしだあゆみは息子を抱いて二人をホームから見送る高倉健に向かって微妙な笑顔で敬礼をする、その目には涙があふれていた、というシーンでした。
駅は人と人が行き交い、人の生活の結節点である、という印象は持っていたのですが、駅が別れの場として強烈に心に残りました。駅という魅力に新たな価値を見出した瞬間だった、と言えば少し大げさでしょうか。その後映画館やビデオで何度もこの映画、この別れのシーンを見直すほどでした。余談ですが、いしだあゆみの泣き笑いの敬礼の姿はこの映画の中でも強烈に印象を残し、約4分間の出演だけでしたが、その年の日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞したのでした。
後日談として私がJR東日本に入社して数年後、友達との北海道旅行の際にどうしても行きたかった銭函駅を訪れました。石狩湾が間近に迫る普通の木造の駅舎でした。駅での思い出が強烈だったので少し拍子抜けして友達と駅前の喫茶店に入りました。マスターに「10年ほど前に高倉健がこの駅で映画を撮りましたよね。」と聞くと、マスターは「あなたが今座っている席に高倉健が座って雪が降るのを待っていたんですよ。あの別れのシーンは結局雪が降らなくて人工雪で撮ったんですよ。」と言われました。
私は、「初心忘れるべからず」という言葉が好きです。鉄道建築を志してから、よくあの「駅・STATION」を思い出して自分の初心を取り戻すことにしています。